Hoovers Interview Part 1

好評のThe HooversのEPがリストックしました。
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さて、この機会に元メンバーでシンガーのクラチ氏にインタヴューを敢行。ウチとしてもインタヴュー記事をフィーチャーするのは初めての試みなので、どんな反応があるか早速楽しみであります。

イントロダクションとして、クラチさん本人との出会いを簡単に綴らせてもらいます。今から6〜7年ほど前、博多のDJイヴェントに二回ほどゲストとして招かれまして、その時の共演DJが彼でありました(二回目は主催者でもありました)。一回目の方は、USガレージ〜ユーロ・ビートのキラー・ナンバーを全てオリジナル盤にてプレイ。よくぞここまで手繰り寄せたなあと唸ったものの、その辺りは熱心にコレクトしていると噂に聞いていたこともあり、いわば想定内ではありました。が、ヘヴィな手応えがあったのは二回目の方で、ネタを全取っ替えするように70’sパンクメインのセットを披露。パンクとはいえ振幅は大きく、とりわけStoogesやPere Ubu、Swell Mapsをミックスする自分好みの鋭いセンスにいたく感激し、「この人只者ではないな!」と強烈なインパクトを残してくれたのです。

しかし実を言うとその時がクラチさんと初合わせではなく、Hooversのライヴも東京で体感しており、それでいながらレコードを所有してないというのも考えてみれば失礼極まりなく、我ながら恥ずかしいものでした。その博多のイヴェント終了から東京に戻った後、おそるおそる申し訳ないような表情で「あの〜レコード、一枚購入したいです」と声掛けし、全てがそこからスタートしたわけです。

それにしても、初めてディスクに針を落とした時の衝撃は忘れられません。こんなにカッコイイのか!お世辞抜きです。今まで知らなかった自分を執拗に悔やんだ次第。この素晴らしき音源を埋もれたままにさせておくわけにはイカンとばかりに、ファースト・アクションとして某中古レコード屋に委託販売してもらうよう手配しました。今となっては営業が不得意な自分がよくぞここまで動きまくってなと感心することしきりですが、それだけこの音源に惚れ込んでしまったといえば納得していただけるでしょうか(その当時はまだFRATHOPも存在しなかった)。

要約すれば、バンドのインフォメーションを明らかにする行為以上に、この「只者でない」男にいろいろと音楽の質問をぶつけてみたかった、というのが本音でありますが、興味を持って読んでいただければ嬉しいです。

────まずはクラチさんの音楽の原体験の話からいきましょう。音楽にのめり込むきっかけや、その当時、もしくは学生時代の頃夢中になっていた音楽、好きだったバンドについて語っていただればと
『最初のとっかかりは13歳の頃、友人にかりたCulture ClubやDuran Duranのテープでそれから外国の音楽に急に興味もつようになってFM誌を買ってエアチェックしたり貸しレコードでレンタルしてもらったり、初めて自分で買った洋楽はDepeche Mode『Some Great Reward』でした。あと同じ町内に2歳上の従兄弟のお兄さんがいて、その人がYMOとDavid Bowieが大好きでABCやJapanやBowieのアルバムをテープにダビングしてもらったりしたのも影響でかいですね。高校に入る頃から過去の物にも興味がわきだしてHanoi RocksやNew York Dolls、あと友人が持ってきたSex Pistolsにガツーンとやられて、DamnedやStoogesときてパンクロックを色々聴くようになって、それから70年代ロックも大好きになりました。StonesやFaces、Mott The Hoople、Lou ReedやVelvet Undergroundなどなど、大学生になる頃にThe WhoやKinksやSmall FacesやByrdsに夢中になりその頃久留米のレコード屋Big Beatに入り浸るようになってからはガレージパンクというよりも60年代音楽全般を聴いてました。オーナーがその辺りのコレクターだった事もありいろいろ教えてもらえました』

────80年代の博多というといわゆる「めんたいビート」を連想しますが、やはり地元では絶対的な存在だったのでしょうか? 好きじゃなきゃ非国民みたいな雰囲気があったとか? 東京ではルースターズ、モッズ、ロッカーズなどは人気があって一通りライヴを観ていますが
『僕は生まれも育ちも福岡なんですが博多と久留米の中間ぐらいの田舎の出身で、めんたいロックを後追いでしか聴いてなくて、3歳年上くらいから上の世代は普通にタイムリーに聴いてた人達も多いかと思うんですけど、まわりに情報がなかったのもあるのでしょうが、めんたいロックにも九州パンクにも乗れなかったという』

────20歳前後で、地元で見たライヴで印象に残っているものは?
『その頃は友人のバンドくらいしか観た事なくて、足繁く通ってたレコード屋Big Beatが常連のお客さんでバンド組ませて日曜の昼間にスナック等を貸切って演奏パーティみたいなのを時たまやっていて、そこで観たマスターの古川さんがやっていたMagic Eyesってバンドには感銘を受けました。Kinks、Them、The Whoのカヴァーをストレートに3曲だけ演っただけなんですけど、こんなバンドをやりたいなと。あと95年あたりはHandsomesという福岡では珍しいTrash Rockin’なバンドがいて、好きでLiveをたまに観にいってました』

────バンド活動はHooversが初めてですか?
『10代の頃は音楽は聴くばかりでバンドをやろうなんて思いもしませんでした。誘われてやってみたら面白くなって、60年代の曲のカヴァーがメインのバンドでThe DunwichesとPink Rotariesで各1回づつLiveやったぐらいで、たいした活動はありません。どれもマスターの古川さんが絡んでてHooversの時も始まりはその延長みたいなもので、音源出した時のメンバーは僕以外全員変わってます』

────Hooversを始めるにあたっての構想、コンセプトが明確にあったと思います
『一応バンド名はSmall Facesのメンバーがギターのフィードバック音を(英国Hoover社製の)掃除機をかける時の音に似てるからとHooveringと名づけてたという記事を見て、そこから拝借しました。初期のThe Whoみたいな大音響の黒っぽいビートバンドを目指そうとしてたのですが技術もなく、始めた頃はわりとCrawdaddysやHypstrzやPrisoners等のリバイバル的なバンドを手本に勢いのいい感じを狙ってたかもです。あとBowieの『Pin Ups』も』

────メンバーはすぐに集まりましたか? 音的なこだわり、嗜好からすればかなり困難だったような気がしますが
『メンバーは音源を出した最終メンバーまでにベースが4人、ギターが2人、ドラムが3人変わりました。最終メンバーはドラムは当時21歳くらいのよく知らないメンバーを入れたのですがギターとベースはレコード屋さんの常連さんで先輩だったので、皆それぞれ好きなのはあったのですが割と音楽の趣味のいい人達に恵まれたのかと』

今回はここまで。次回Part 2に続く


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